精神疾患の夫と暮らす癌サバイバーの妻

実家じまい、癌治療、癌サバイバー、アルコール依存症、双極性障害などについて語ります。

怒り

梅雨入りも間近です☔

 

でも、梅雨明けのような夏日です☀️

 

エアコン躊躇していましたが、頭痛くなり、軽い熱中症のような症状がでてしまいました。

 

除湿入れ始めました😅

 

 

前回の話の続きになります。

 

あい変わらずの主人。

 

週末、決まって飲みにでかける。

 

昼前から何かしら理由をつけて出かけ、そのまま飲み屋に行くようでした。

 

帰宅は12時前。

 

この頃は祝日や日曜日も飲みに出かけていました。

 

わざわざ電車に乗り1時間近くかけて、飲みに出かけます。

 

アホです💢

 

出張があれば、家の分と居酒屋の分、おみやげを買っていました。

 

ホントにイラッとします💢💢

 

主人は飲みに行くのが目的ではないと。。人との繋がりがあるからだと言いました。

 

主人が行っている居酒屋は中国人の女の子達がスタッフでいる中国人カラオケ居酒屋です。

 

何が人との繋がりだ!!

 

アホか!!💢

 

飲み屋の繋がりなんかどーでもいい!!

 

主人がくだらない居酒屋でお金を使いまくったおかげで息子をどれだけ苦しめてきたか。。。

 

その苦しみ、わからせるまで、私は負けない!!

 

先に倒れるわけにはいかない!!

 

この話の続きは次回させていただきます。

 

今日も最後までは読んでくださりありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

和らいでいく心

6月になりましたね〜。

 

月日が過ぎるのが早い。。😲

 

日中は暑くなってきましたね〜

 

エアコン使うか躊躇しているこの頃です。

 

お話の続きになります。

 

必死でみつけた女性専用の鍼灸院。。女性の先生で完全予約制。

 

ゆっくりお話も聞いて頂き、しっかりその時に応じて治療してくださる。

 

身体の不調はもちろん、主人のこと、息子のことなど何でも話を聞いて頂きました。

 

先生は毎回しっかり話を聞いてくださいました。

 

私にとってはもう、それだけでどれだけ気持ちが楽になっていったかわかりません。

 

自律神経の治療をしてくださるため、毎回、自律神経のツボに鍼をうってくださいました。

 

毎月通っているうちに呼吸もいつの間にか落ち着いてきました。

 

鍼灸院は私にとってなくてはならない場所になっていきました。

 

色んなしんどい事を話す。。

 

先生はただ元気づけるだけでなく、必ず寄り添ってくださる。。

 

帰る頃には気持ちも体もがスッキリし、前向きな自分になれています。。

 

この時はもう、心療内科の通院は訪問看護の指示書のためだけになっていました。

 

今まで、色んなところへ相談していたことが、嘘のように楽になっていました。

 

自分の気持ちを吐き出す場所が固定されてきたことで、不安感が和らいできたのです。

 

もちろん、主人の状況は変わったわけではありません。

 

この話の続きは次回にさせていただきます。

 

今日も最後までは読んでくださりありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

主治医 ②

今日は朝から晴天で、気持ちいい風が家に入ってきています。

 

日中は夏日になるそうで熱中症の注意報がでています😅

 

お話の続きになります。

 

通っていたクリニックでの辛い出来事。。

 

決定的になった出来事がありました。

 

院長だった主治医に叱責されたことで、ショックを受け、具合が悪くなったので、主治医を変えてもらう事にしたのです。

 

この時、主人もこのクリニックに通っていました。が、クリニックの方針で私の主治医と主人の主治医は別々にするというかたちになっていたのです。

 

が、このタイミングで主人が通院の曜日を変更したため、主治医が変わる事になったのです。

 

そのため、主人が診て頂いていた先生に私は変更できたのでした。

 

主治医が変わった初めての日、待合室で待ってました。

 

そしたら、何故か、変更した主治医でもない初対面の副医院長から名前をよばれました。

 

疑問に思い、受付に確認すると、ちゃんと主治医は変更されているのに、手違いで副医院長に呼ばれたようでした。

 

この直後、この副医院長が待合室までやって来て、私に大きな声で、こう言い放ったのです。

 

 

「通院しないのにも、ほどがある!!」と。。

 

またしても叱責されたのです。

それも人前で。。

 

待合室には待たれている他の患者さんも何人かいらっしゃいました。

 

私は、恥ずかしいのと、腹立しいのと、悔しさでいっぱいになりました。

 

 

このあとすぐ、変更になった主治医から名前を呼ばれ、診察室に入りました。

 

その時にはもう、やりようのない気持ちと怒りが治まらず、この出来事を泣きそうになりながら直ぐ伝えました。

 

変更になった主治医は女医さんでした。この一件について謝罪してくださいました。

 

でも、私は深く傷つきました。

 

体調をよくするために通っているクリニックで、さらに体調が悪化することの矛盾。。私にとってこのクリニックの存在価値を考えるようになりました。

 

この女医さんに変更になり、しばらく定期的に通院はしました。やはり、訪問看護の指示書のために。。

 

叱責されることはありませんでしたが、いつまた、手違いで、勝手に副医院長に呼ばれるのかとドキドキしながらの通院に、だんだんストレスがかかっていました。

 

何よりクリニックに対しての不信感が拭えませんでした。

 

また、診察内容も事務的な内容には変わりなかったのです。

 

やはり少しづつ、通院の間隔はあいていきました。

 

主人は副医院長が主治医になったようでした。私にとっては不安しかありませんでした。

 

主人は特に嫌な出来事もなく、事務的に受診しているようでした。

 

この時点では私の出来事については、主人には話しませんでした。

 

私はこのクリニックに頼ってはいけないと思い始め、鍼灸院を探しました。

 

必死で探しました。

 

そんな時、女性専用で自律神経などの治療にも力をいれている、女性の先生の鍼灸院にめぐり会えたのでした。

 

このお話の続きは次回にさせていただきます。

 

今日も最後までは読んでくださり、ありがとうございます。

 

 

 

主治医 ①

5月の風、気持ちいいですね〜🌿

 

朝夜は少しひんやりしていますが、日中は気温上がる予報が多いです。

 

少し気温は高めの日が多いですが、草花が賑やかで目に楽しい季節です☺️

 

 

お話の続きになります。

 

訪問看護さんから紹介をされたアルコール依存症専門医に行きました。

 

初めての時は家族受診という形。一度で済む内容でないと判断されたこと、私自身の状態等で、次回から家族受診ではなく通常受診になりました。

 

私にとってはクリニックを変えることになりました。

 

主人のことをも相談でき、私自身のことをも診てくれることに、正直嬉しかったです。

 

 

今までのクリニックでは10分程度の事務的な診察でした。

 

訪問看護の指示書のための受診でもあったため私自身もそれでいいといいきかせていました。

 

前のクリニックに通ってたある頃、大雨が続いてた時期がありました。その時、急に呼吸がおかしくなりました。

 

深呼吸ができない感覚。。

 

深く息が入らない感覚。。

 

病院が閉まっている夜に発症してしまいました。。

 

めずらしく大雨が連日続いていた事も不安だったのかもしれません。。。

 

とにかく外出がしにくい状態。。

 

そして病院が開いていない夜。。

 

不安要素が重なったのかもしれません。

 

とにかく呼吸が苦しくて、横になれず、深夜、やむをえず総合病院の夜間救急診療を受診しました。

 

病院に行くと、安心したのか、何故か症状が治まっていました。

 

でも、救急の担当医から念のため、呼吸器内科を受診しておくよう言われました。

 

言われた通り呼吸器内科で検査も受けました。

ですが、異常はありませんでした。

呼吸器内科の医師からは心療内科を受診するようにすすめられました。

 

そしてお守り代わりに安定剤をだしてくださいました。

 

そんな中また深夜、苦しくて再び夜間救急を再び受診しました。

 

仕方なく急遽、通院していた心療内科を受診しました。

 

この時に主治医から酷く叱責されました。

 

二度も救急で受診したこと。

呼吸器内科から安定剤がでたこと。

 

かなり体調が悪く受診したのに、主治医から叱責されたことで帰り道、今まで以上に呼吸が辛くなってしまいました。

 

この出来事から、主治医に対する不信感が大きくなり、クリニックから少しづつ、足が遠のいていったのです。

 

この、クリニックでの辛い出来事はこれで終わりではありませんでした。

 

この続きは次回お話させていただきます。

 

今日も最後までは読んでくださりありがとうございます☺️

 

 

 

 

ラジオ

今週のお題「ラジオ」

 

最近、平日は毎日ラジオを聞いています。

 

私は在宅ワークなので、地元のFMラジオを聞きながら仕事をしています。

 

私個人だと絶対聞かない音楽や、知らなかったアーティスト、色んな情報。。

 

とても新鮮で楽しい。。

 

最近は時々ラジオネームでリクエストやメッセージも送ったりしています。

 

自分のメッセージが読まれ、リクエスト曲がかかるとテンションが上がります。。

 

ちょっとした楽しみになりつつあります☺️

 

リクエストした曲が電波にのりラジオで流れる。。

 

なんだか嬉しい〜☘️

 

新たな出会い

今日も朝はひんやりしてるのですが、夏日の予報です。

 

初夏とはいえ、まだまだ春の余韻が残る季節のはずなのに。。

 

体がついていけてません😅

 

 

お話の続きになります。

 

私にとっての断酒会は切ってはいけないものだと思っていました。

 

というのも、初めて断酒会と繋がった時、断酒会に言われた事が頭から離れなかったのです。

 

「酒がい者本人が今繋がってなくても、家族が断酒会に続けて通う姿を本人に見せることが大切。いつか必ず本人も繋がってくる」と言われました。

 

そしてこの頃の私には断酒会は同じ経験をし、乗り越えて来られた先輩方の集まりで、言葉ひとつひとつが響いてきていました。

 

でも断酒会に通えない焦りと通っていない後ろめたさも同時に感じはじめていました。

 

こんな状態でいいのだろうか。。

 

そんな私に家族会は、「来れるようになったらで大丈夫。心配しないで」とあたたかくいってくれました。

 

でも、私の中では断酒会、家族会と距離ができ、主人に断酒会につながってると胸はって言えないのではないか。。と考えるようになってしまっていました。

 

なんとしても断酒会とは繋がっていなければ。。と思っていました。

 

 

私はこの頃、訪問看護を受けるようになっていました。

 

というのも、私としては、どんな形でもいい、家庭に介入し、相談にのってくれる支援がほしかったので、片っ端から訪問看護ステーションに連絡をとり探し、相談したのです。

 

ある訪問看護ステーションに相談した時のことです。

 

主人にいきなり訪問看護が入ることは今ハードルが高いが、一旦私が利用してみることは有りなのではないか。。と言われ目から鱗でした。

 

そうか。。私が利用してみてもいいかもしれない。。

 

そして、訪問看護の指示書が出やすいクリニックに通う事にし、指示書をだしてもらい、訪問看護に入ってもらうことになりました。

 

初めて訪問看護に入ってもらった時、ホントにうれしかった。

 

色んなところに相談していたことが訪問看護さんに聞いて貰えること、そして家庭に入って貰えることなど、今まで望んでいたことが叶った。。

 

嬉しかった。。

 

そして主人の事、しんどい事等、たくさん話していきました。

 

心が、楽になっていきました。

そして色んなところに相談することもなくなっていきました。

 

ただ、訪問看護ステーションの方針や来られる看護師さんとの相性などで訪問看護ステーションを変えてみたりはしました。が、基本、利用はずっと続けました。

 

そんな時、利用していた訪問看護さんからある依存症専門医を紹介されたのです。

 

このお話の続きは次回にさせて頂きます。

 

今日も最後までは読んでくださりありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

断酒会

新緑が目に眩しい季節となりました。4月とは思えない夏日が、続いてます。

 

春はどこへいってしまったのでしょうか。。

 

お話の続きになります。

 

断酒会に主人と2人で通うようになり、酒害者と家族と分かれての例会となり、私としては少し気が楽に参加できるようになり、家族会で少しづつ話すことができるようになりました。

 

また断酒会の会長の奥さまには色々ご相談にものって頂いていました。

 

やはり、同じ酒害者の家族ということもあり、話をしていても

通じることも多かったのだと思います。

 

落ち込んでる時には優しく寄り添ってくださり、苛立ってるときには、なだめてくださいました。

ただ話を聞いてもらうだけで元気になれていました。

 

ただ、断酒会に参加していても、いっこうに変わらない主人に、苛立ちが募りました。

 

変わらないだけでなく、「断酒会は自分とは違う酷い人の集まりだ」と言い、「自分の来る場所ではない」

 

そして、「お酒は止める気はないから行かない」と言いました。

 

会社を早退してまで、断酒会に参加することにも、疲れていたようでした。

 

同じ頃、クリニックにも行かなくなり、もっと家の近くの通いやすい病院がいいと言い出しました。

 

専門医ではなかったのですが、比較的近くのクリニックに変わり通院をし始めました。

 

専門医ではないので、依存症プログラムはありませんでした。

 

かろうじて通院だけはしている状況でしたが、通院継続しているから良しとし、もう嘆くのは止め、この現実を受け入れることにしました。

 

断酒会には参加しなくなり、休会扱いになってしまいましたが、私は相談などで連絡はとっていたので繋がっていました。

 

なかなか、私一人で夜に開催されている断酒会への参加は厳しかったので、昼に開催されている別の場所の会に時々、私ひとりで参加したりしていました。

 

所属していた断酒会の例会にはなかなか出席できなかったのですが、断酒会そのものとは疎遠になりたくなかったのです。

 

これには大きな理由がありました。

 

この話の続きは次回にさせていただきます。

 

今日も最後までは読んでくださりありがとうございます。