精神疾患の夫と暮らす癌サバイバーの妻

実家じまい、癌治療、癌サバイバー、アルコール依存症、双極性障害などについて語ります。

続く苦痛

今日は寒い雨☔です。

 

はや来週は3月。。

 

家のプチ飾りを慌てて雛飾りに変えました🎎

 

早いですね〜

 

 

前回の話の続きになります。

 

主人の会社とつながった事。

 

この時の私には、とても大きな出来事でした。

 

主人に変わった事があった時、

会社の総務担当者に相談できるルートができた事。ほんとに心強いと思いました。この時は。。。

 

ある日、主人がいつものように夜飲みに行き、明け方帰宅し、早朝仕事に行こうとした時、お酒の匂いがしました。

 

このまま、仕事に行き、会社の営業車に乗り事故をおこしたら。。と考えると怖くなり、即、会社の担当者に連絡を入れました。

 

「今、会社に向かいましたが、気のせいかもしれませんが、お酒の匂いがしました。営業車に乗る前に確認して頂けますか?もしお酒の匂いがしていたら、止めてください」と伝えました。

 

担当者は即、会社に行き主人のもとへ向かい、お酒の匂いを確認をしたようでした。この日、主人はお酒の匂いがしていたため、営業車には許可がでるまで乗るなと言われたようでした。

 

なのに、担当者の目をすり抜け営業車に乗って仕事をしてしまったのです。

 

この事は会社内では大変なことになってしまっていたようでした。

 

始末書を書かされ、クビになっても仕方ない状態にまでなっていました。

 

なんとかクビは逃れましたが、主人は全然、反省もなく変わる様子もありませんでした。

 

そして家庭内ではよりひどくなっていました。

 

私は息子とも話し合い、息子が中学生の間はパートせず、家にいると決めていました。金銭的には余裕はなかったけど、家庭内が落ち着かず、父親がおかしいことは息子にもわかっていたと思います。そのせいでの息子への影響は最小限にしたかった。

 

せめて、中学生の間はできるたけ近くでサポートしてやりたかった。

 

一般的にはとても甘い考えなのかもしれなかったが、この事は私の中で固く決めていた。

 

でも主人には理解は求めていなかった。

 

主人は自分の飲み代はたなにあげ、私には「働け!」と毎日言ってくるようになっていました。

 

私は自分の考えを曲げる気はなかったので「探している」と言いながら、流していた。

 

息子が高校に入る時に働こうと決めていた。

 

なので毎日、怒鳴られるように言われ続けたが、絶対ゆずらなかった。

 

私自身、精神的に、おかしくなりそうだった。毎日追い詰められていた。

 

会社につながったといっても、この時は連絡が取り合えるという状況にすぎず、家庭での状態を話しても、なんの解決にも結びつかなかった。

 

会社としては病院に通院するように促していくことが精一杯だったようだった。

 

そんなある日、会社との話の中でとんでもない事がわかり、私はショックを受けた。

 

会社もどうすることもできず、ただ、呆れ果てた。

 

この出来事については、次回お話させていただきます。

 

今日も最後までは読んでいただき、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

予想外の繋がり

コロナから復活し、やっと平常が戻ってきました。長引いていた鼻や咳などの症状もほぼなくなりました。

 

先日は心療内科に行ってきました。コロナで受診できなかったので、薬の処方だけして頂いてましたが、やはり主治医の先生とお話し、モヤモヤを払拭したかったんです。

 

コロナで体調崩したことでわけのわからない不安感に襲われ、頓服の強い抗不安薬に頼ってしまったことに、より不安を覚えてしまいました。

 

やっぱり受診してよかった😊薬に対する恐怖心も和らいだように感じます☘️

 

前回のお話の続きになります。

 

相談しても、どこも聞いてくれるだけの一方通行。

 

やみくもに相談しまくっている自分がどんどん、おかしい人間になっていくように感じて、むなしく、みじめになっていきました。

 

家に一人になる時間ができるとソワソワして「どこかに相談しなきゃ」という気持ちになってしまい、つらつらと同じような内容の相談をしていました。

 

今思うと、この時の私は異常でした。

 

新しい相談場所を見つけては、相談を繰り返していました。相談しすぎて、同じところに相談してしまうこともありました。

 

返ってくる言葉は、ほぼ一緒なのに。。

 

この頃に主人の会社の産業医?にも相談していたのですが、ほぼなんのアドバイスもありませんでした。

 

ただ、会社と家庭とは色々共有と連携はしたほうがよいということで、会社の総務の担当者と繋いでいただきました。

 

このことは、予想もしていなかった事で、会社の担当者には何かあると相談することにもなっていきました。

 

会社につながった事は、今後大きな出来事になっていきます。

 

この話の続きは次回お話させて

いただきます。

先日のクリニックの帰り道の、毎回お楽しみのカフェタイム🥰

 

早々に食べちゃったんですが、毎回同じの「きなこモッチー」も頂いちゃいました☺️

 

癒やしです☘️

 

今日も最後までは読んでくださりありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

孤立

仕事始めと同時にコロナになってしまいました😅

 

無事に療養期間終え、仕事にも復帰いたしました。

 

コロナはいろんな不安を煽ってくる怖い病気ですね〜😣

 

鼻、咳、臭覚、味覚、色んな症状が時間差ででてきたうえに、精神的にも、強い不安感というかたちで襲ってきたため、眠れず辛かった。そのため強めの抗不安薬のお世話になりました。

 

やっと普段の服薬状態に戻り、精神的にも少し落ち着いてきました。

 

現状、薬の力を借りてる状態に、なんだかとても情けない気はしますが、まずは落ち着いて普段の状態になるべく早く戻すことが大切。そう思っています。

 

前回からの話の続きになります。

 

役所に相談したことで追い詰められていく現実。

病名がついてるのだからと、医療関係などに相談しても、うちのように、主人に病識がない場合は入院はできないと言われた。

地域の包括支援や社協、障害者支援施設などにも相談した。

どこも、我が家に介入する対象にはならないと言われた。

明らかに悪化してる状態で病名までついていながら、介入してもらえず、家族で解決しろと言われてるように感じました。

何とか、どんなかたちでもいい

、家庭に介入してもらえる支援がほしかった私には、辛い状況でした。

病名までついてるのに、悪化してるのに、専門家でもない素人の家族に、任せてしまう現状にショックを受けました。今の精神科の医療に疑問を持ちました。通院できず、悪化していても介入支援がないことに、怒りすら感じました。

 

そして、孤立してしまってることにも気付かされたのです。

 

 

この話の続きは次回お話させていただきます。

 

今回も最後までは読んでくださり、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

決心と新たな壁

明けまして おめでとうございます🎍

クリスマスからホントに早かった😳

 

あっと言う間ですね〜✧⁠\⁠(⁠>⁠o⁠<⁠)⁠ノ⁠✧

 

 

年々、早く感じます。。😌

 

なんでこんなに早く過ぎていく感覚なんでしょうか?

 

いつもと同じように過ごしているだけなのに。。😌

 

 

 

前回のお話の続きになります。

あるきっかけから主人の病気の正体が少しづつ顔をだし始めた。

 

主人の友達と泊まりに行った日、その友人とホテル近くの居酒屋に行ったようでした。

その居酒屋は中国人居酒屋のようで、店には中国の女性がスタッフでいて、近くに座った女性が飲んだり食べたりしたものも客が支払うようです😒

 

主人はこの日以来、この店に通い続けました。(今も通い続けてる😓)

 

平日、仕事終わりに車で。。帰宅は明け方。。そして、7時前にはまた仕事へ行く。。ある意味、体力あるなぁと関心しました。

 

土曜日等、ひどい時は帰宅せずスパワールドに泊まり、次の日、昼前に帰宅する。そしてまた夕方飲みに行く。。

 

めちゃくちゃな生活でした。言動もひどく、暴言もあり目つきもギラギラしていて怖かった。。😖

 

給与も振込口座を勝手に変えられ、家にお金をほとんど入れなくなり、貯金を崩す生活になっていました。

 

主人は給与のほとんどを飲み屋につぎこんでいた。家のローンも車の維持費もいれてこない。最悪だった。

 

息子は中学生でした。。

友達や学校には家の状態がわからないよう、塾も辞めることなく通わせました。

 

息子には、普通に学生生活させようと思った。

普通に高校、大学と行かせたいと思った。

何が何でも!!

 

そう思うようになった。

決心したんです。

くだらないことで息子の一生を潰したくない!!潰させない!!と決めた。。

意地でした。

 

もちろん息子は、父親の変化は敏感に感じとっていたと思います。

 

ただ主人は息子には優しい父親でいたように思います。全く意味はありせんでしたが。。息子の眼の前で、私へ暴言吐いてましたから。。😔

 

ただはっきりわかったのは、こんな状態の主人はまともとはいえない事。。

 

相変わらず、どうしていいかわからず、吐き出すようにひたすら、色々相談していた。

 

行政に相談した時、息子の前での私への暴言は虐待と私へのDVになり、家にお金入れないのも経済DVにあたると言われ、DV相談にすぐまわされた。

 

そして、貴重品を持ち、息子とすぐ家をでるように言われた。

 

不安なところに上書きするように新たな不安が襲ってきた。

 

息子に話した。

 

息子はかたくなに嫌がった。環境を変えるなら死ぬと息子は言ってきた。

 

息子にとって家は父親がこのような状態で居心地が悪く居場所はない。学校が唯一の落ち着く居場所だったようだ。友達と過ごす時が息子を支えてくれていたのだ。

 

息子の心境がわかったこの時から生活を変えようという気持ちより、息子をこれ以上傷つけたくない気持ちのほうが大きくなった。

 

それに、主人にははっきりとした精神疾患がある。あきらかに病的だった。

 

病気ならば、それなりの治療を受け、少し正気になった時、自分がしてきたことを反省し、息子に対して謝らせたい!!泣きながら謝る姿が見たい。絶対見てやる!!それまでは負けない!!そう強く願うようになっていた。

 

しかし役所は、息子を説得するから、とにかく早く家を出るように。と。そして早く警察に相談に行こうといってきた。

違う。逃げたいけど、違う。

 

私は役所に相談したことで、かえって追い詰められてしまった。

苦しくなっていた。

 

 

息子にこの話をした時の寂しそうな目。。

まだ中学生の息子に死ぬ。とまで言わせてしまったこと。。

忘れることができない。

逃げるのではなく、強くならなくては。。

 

この時から、確実に主人のことが憎くなっていった気がする。病気だとわかっていても。。

 

ただ、何より私が強くなろうと決心した。

 

そして、相談場所は行政ではなく、精神医療関係に移っていった。。

 

しかし、なかなか相談しても介入してもらえるケースではないと言われた。

つまり、家族でなんとかするか、逃げるかだと。。

何度も突き放された気持ちになった。

 

新たに、大きな大きな壁にぶち当たった気がした。

 

 

この続きはまた次回にお話させていただきます。

 

今日も、最後までは読んでくださり、ありがとうございます😊

 

 

 

 

 

 

 

手探り状態のはじまり。

Merry Christmas🎄

 

朝からラジオではクリスマスsongの連続。

 

先日は冬至。。

カボチャは最近食べてしまったので、我が家ではゆず湯だけになりました〜♨

 

温かくて、柚子のほのかな香りがいいですよね〜☺️

 

 

前回のお話のつづきになります。

 

上機嫌で攻撃的になってる主人。

 

どう接したらよいのか、途方に暮れていました。

 

 

あちこち相談しまくる日々の始まりでした。

 

 

主人が通院するクリニックにも家族相談で何度か行きました。が、私が相談に来る事を主治医はあまりよく思っていなかった様子でした。

 

主治医が言うには、私から色々聞いてしまった上で本人を診察するのはしづらいと言うのものでした。そのせいかいつも早く話を切り上げたそうでした。

 

主人はというと、通院するもリーマスさえ貰えたらいいという感覚で、受診の時も適当に返事をし、早々に切り上げてしまっていた様子。

 

私から見ると、主人がこんな状態なのに、薬を変える訳でもなく、何より主治医の主人に対する姿勢に熱意もなにも伝わってこない。そんな主治医の態度に、なんともいえない気持ちになりました。

 

そして全く意味のない内容の通院になっているように思えてなりませんでした。この主治医に任せること、つまりもう信頼できなくなっていたのです。

 

主治医が信頼できなくなっていたため、行政、NPO、相談できるところには片っ端から相談し始めました。

 

ちょうどそんな時でした。主人の学生時代からの友達がしょっちゅう我が家に遊びに来るようになっていました。

 

遠くに住んでいましたが、バツイチの彼は身軽だったこともあり、月イチくらいのペースで泊まりで遊びに来ていました。

 

一泊は我が家。もう一泊は安いホテルに泊まってから帰っていました。

 

月イチ遊びに来る彼には、違和感しかなかった。

 

そんな時、主人は彼が泊まっている安いホテルに興味を持ち始めたのです。

 

そして主人は彼が遊びに来た時、一度ついて行き、安いホテルに泊まりに行ったのです。

 

この出来事をきっかけに、主人の病気の正体が顔を出し始めました。

 

 

この続きは次回、お話させていただきます。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

光の見えない暗闇の中へ。。

街を歩けば、イルミネーション。ラジオからはクリスマスソング。。

クリスマスまでのカウントダウンが始まりましたね〜

 

私は今の時期が一番好きかもしれないなぁ〜💕

 

幾つになっても、ワクワクしてきます(⁠*⁠^⁠3⁠^⁠)⁠/⁠~⁠♡

 

前回の話のつづきになります。

 

異常に明るく、そして大きな声で話す主人。

 

薬が効きすぎてる?それとも別の病気?

 

あれだけ会社に行けなかったのに?朝も布団からでてくるのがやっとだったのに?

 

ちょっと怖かった。。

 

そして、どこで言われたかは忘れてしまったが、主人は運動をした方がいいと言われたので、スポーツジムへ通うようになった。

 

だが、この頃の主人は、話をしだすと機関銃のように喋るようになっていた。そして話題もポンポン変わり、会話が少し成り立たない時もでてきていた。

 

こんな状態でスポーツジムに行って大丈夫なのか?

 

嫌な予感は的中してしまった。ジムの運動がメインではなく、インストラクターの女性に話す事が楽しくて、めちゃくちゃ話かけていた様子

夜遅くにジムに行きお風呂だけ入り、インストラクターに喋るだけ。こんな内容なら高額なジムに通う意味がないと感じ、理由をつけ、辞めてもらった。

 

次に趣味を持つという意味で週1回、夜、ウクレレを習いだした。だが、練習場所をめぐって揉めてしまい、主人はぶちギレてしまった。

ジムも辞めざるを得なくなり、ウクレレも練習できない苛立ちからキレたようだ。

ウクレレの練習に文句は言いたくなかったが、家族でTVをみているすぐ横でウクレレをひきだす主人。TVが聞きにくい状態に一言、「他の場所か時間を変えて練習してほしい」と言ったのだ。

 

主人は、単にウクレレの音が邪魔だと言われたと思ったようだ。

 

私と息子の目の前で、ウクレレを叩きわり、「辞める」と言った。初めてみた主人の鬼のような行相だった。震えがくるほど怖かった。

 

同時に楽器に八つ当たりし、叩き壊した主人に対しては許せないという強い気持ちが、私のなかで時間が経つにつれフツフツでてきた。

 

このあたりから、主人は機嫌よく、明るく喋ることに加え、攻撃的になっていった。

 

目つきもギラギラした感じになり、鼻歌うたっていたかと思うと、ちょっとしたことで大声でキレる。

主人にどう接していけばいいのか、理由もわからなかった。ただ、ただ、不安で怖かった。

 

 

この話の続きは次回にさせて頂きます。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございます😊

 

 

 

 

 

 

 

見え隠れする光。

すっかり、街はクリスマス🎄一色になってきた。

今年は秋🍁があったのかなぁ?

あっという間に冬になってしまったように感じるのは私だけでしょうか。。🙄

 

主人の復職の話からの続きのお話になります。

鬱状態から復活したかのようにみえる主人。

年末、主治医、会社担当者、主人との三者で復職の方向で決まった。休職してから2ヶ月半が経過していた。

復職は年明けから無理のない仕事内容からということになった。

 

年が明け、復職した。復職してからは時間も無理のない範囲から。。ということだったため時間も緩やかな感じで復帰した。そのため毎日昼休みは必ず帰宅し家で食べるようになった。

会社は自宅から近いため

主人が自宅で昼食をとることを選んでいたようだ。

 

私もまだ正式には仕事をしていなかったが、なかなか長時間の外出がしにくくなっていた。

やはり、主人の状態も気になっていたことも大きく、

出かけても落ち着かなかったため、あまり昼をまたいでの外出はしなかった。

 

しばらくこの状態が続いた。

 

春になり、私は自分の仕事に備えパソコン教室に通い始めた。

昼、帰宅できないことも、あったが、準備をしてでかけられる状態にはなっていた。

 

主人に大きな変化はなく、落ち着いているように見えていたからだ。

 

主人は、社内での仕事に、あまり不満を言わなかった。が、かなり調整されていた仕事なので退屈に感じていたようだった。

 

ただこの時期、私のなかで、全く不安がなかったと言うと嘘になる。

相変わらず、めちゃくちゃ明るくなった主人。

今思えば、この時

わたしの中で主人に対して、

なんとも言えない不安があった気がする。

わたしの知っている落ち着いた穏やかな主人という状態からは少しづつ離れているように感じていたのかもしれない。

 

この話の続きはまた次回させていただきます。

今日も、最後までは読んで頂きありがとうございます。